酒は燗、肴は刺身、酌は髱

我が身の色をお隠しでないよ、着の身着のまま、ええじゃないかえ

第58期王位戦 将棋

第58期王位戦は通算4-1で菅井竜也挑戦者が羽生善治王位を破り新王位の誕生となった。羽生先生は王位のタイトルを失い王座棋聖の二冠となった。

全体的に菅井先生の強さがハンパではなかったのだが、特に意味がわからなかったのは序盤ですよね。全局菅井の振り飛車で、相振り模様から菅井が飛車を28に戻した衝撃の第4局以外は三間飛車だったのだが、それはもう菅井ワールドが炸裂していた。

調べたのだが、第1局は8手目、第2局は3手目(!)、第4局は12手目、第5局は10手目にして、記録に残る10万局以上の全てのプロ公式戦の前例から離れている。第3局の6手目32飛車は王位戦が初出ではないものの、今年に入ってから菅井先生が指した新手である。将棋という海の広さと自由さを思い知らされる、そんなシリーズだった。1971年の大山升田最後の名人戦升田幸三が石田流三間飛車を連採し、升田式石田流という作戦を確立させたシリーズとなったが、それすら思い起こされるようである。

 とにかくそんな具合の力戦振り飛車で羽生王位に挑んだ菅井挑戦者だった。振り飛車はサバきが命と言われる。サバきとは全ての駒を効率よく働かせることだと理解しているが、菅井先生のサバキの技術には眼を見張るものがあった。

 

後手のこのそっぽの金、重い飛車先が

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見事にサバけてしまった。

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この力強い中盤力で羽生王位を圧倒していた。負けた第3局は羽生先生の完勝だったものの、感想戦の取材によると、勝った4局はどれも序中盤から少しのリードをじわじわ広げていっての勝利だったのも印象的だった。 

 

羽生先生は数年前から20代の棋士の挑戦を受け続けており、中村中村豊島豊島広瀬佐藤佐藤永瀬斎藤糸谷と並べると壮観である(順番適当もしかしたら抜けあるかも)。もちろん楽なシリーズばかりではなく、フルセットの末に辛くも防衛という勝負もいくつもあったのだが、それでもこのうち羽生からタイトルを奪取できたのは名人戦での佐藤天彦のみだった。今回菅井王位はそれに続く形となった。

羽生は衰えた、というのは10年前から言われ続けているネタなのでどうかしているのだが、二冠とというのは羽生先生的には底の数字なので(どうかしている)。羽生先生は棋士になって30年、タイトルを98期獲得しているので平均すると3.3冠ということになるからね。まあでも、9月からの王座戦を防衛し、9月8日の竜王戦挑戦者決定戦第3局で勝って竜王戦挑戦者になり、竜王奪取すればちょうどタイトル通算100期(どうかしている)と永世竜王の称号獲得を同時に達成することになる。これが見たい。お願いします。そのためにまずは挑戦者決定戦第3局とかいう心臓に悪い勝負を応援しなくてはならない。王座戦も中村先生が相手なので、前回の羽生中村の王座戦のような死闘になることが容易に想像できるし。

僕が将棋を見はじめた4、5年前は、羽生先生が強すぎて勝つのが当たり前だったので、わざわざ応援しなくてもいいかなというレベルだったんだけど、若手棋士ジェットストリームアタックを受け止め続けている最近の羽生先生はめちゃくちゃ応援したくなる。

 

では最後に、僕の持ってる羽生王位直筆揮毫入扇子を自慢させていただきます…… また王位にカムバックしてこの扇子を見せびらかさせてほしい!

 

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月曜日の友達

世界の歴史上最大の芸術家は誰か。

シェイクスピアドストエフスキープルーストダヴィンチ?ピカソ?バッハ?あるいは、運慶?世阿弥小津安二郎

様々な名前の挙がるところかとは思うが、実はこの問いには明確な解答がある。

そう、阿部共実ですね。

 

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世界最高の芸術家であることが確定している阿部共実先生の新作、『月曜日の友達』はスピリッツで隔週連載しており、8月30日に単行本第1巻が発売されました。世界最高の芸術家の新作なので、言うまでもなく世界最高の漫画であることも確定していますね。単行本の発売日が決まった瞬間に今年最高の漫画であることも決定しました。

なんと1話が無料公開しています。神の福音と言わざるを得ない。全員読んでください。

やわらかスピリッツ - 月曜日の友達

 

読みましたか?この異常な精度の書き込み、それも、近年の漫画によく見られる写真を素材にした写実的な風景の書き込みとは違う、整然とした描写が3次元の空間を、平面に見事に落とし込んでいる。すなわちそれが構図というものであって、その意味で全てのコマが完璧であると言わざるを得ない。なんとなく『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』の美術みたいとも思う。今までの阿部共実作品では要所で用いていたみっちりとした書き込みが、平常のなんでもないコマに平気で使われてしまって無敵になっている。

白黒というメディア特性を活かしきった表現は漫画そのもの。ベタを多用し白と黒のコントラストをはっきりつけた夜の学校などカッコ良すぎるし、その中で中間の灰色が信じられないくらい美しく見える。

時折実験的な演出もしており、例えば1話で言うと水谷が蹴りを入れる見開きは「だ」の吹き出しで蹴りの鋭さを表現するなど。この見開きは飛んでいく紙パックの放物線をコマを横断した動線で感じられるところもすごい。さっきも言ったように全てのコマを完璧な構図で書く作家なので、たとえ動いているシーンであっても、一コマ一コマに動きは無く静止しているのだが、それでもページ単位のデザインで動きを表現してくる。

中学生の爆発する内面を描写するモノローグも詩のような美しい文章である。この漫画の特徴として吹き出しの全ての文末に句点が付いているというのがある。これが何故かはわからないが、もしかしたら言葉が絵の先に立っている作品なのかもしれないなどとも思う。

 

内容としては『空が灰色だから』から一貫して“変わった人”を描き続けている作家で、それがギャグ漫画に振れるかシリアスな方に振れるかというので作風が2通りある。ギャグ漫画家としても天才なのでそちら側の新作も是非読みたい。

世界最大の芸術家かはともかく(僕は本気でそのくらい好きだけど)、現役最高の漫画家の1人くらいは確実にあるので絶対に読んでほしい。あり得ないとは思うが万が一この作品が全然売れてないとかなったら本当に許さないからね。

『ぼくは麻里のなか』読破した

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読破した。

2巻だけ読んだタイミングで前に一回記事を書いているのだけれど、ようやく。

で、すーばらしかったのですね。めちゃくちゃ泣いてしまった。傑作云々という以前に、私的に大好きな漫画になりました。押見修造先生の筆致で描かれる麻里が美しくてかわいそうで愛おしくて、前の記事で『ツインピークス』のタイトルを出したけれども、読破した今、ぼくの心のなかのローラ・パーマーという呪われた名前の隣に、吉崎麻里というひとりの女の子の名前がしっかりと刻まれたのでした。(本家ツインピークスは新シリーズが今、たいっっっっへんなことになってますがね!!その話はまた)

 

 

 

 

以下作品の紹介をしますが、内容にも触れているので気にする方はここまでにしてくださいね。一応未読の方でも読んでいただけるよう本質には触れていないつもりですが責任は取りません。ただ、この作品はネタバレしたからつまらなくなるという類の漫画でもないとは思います。

 

 

 

 

前半は見る見られるの視線劇なのですね。麻里を安全圏から観ていた小森は麻里に見返された瞬間に麻里のなかに入ってしまう。麻里のなかの小森が本物の麻里を探す視線、麻里の体で暮らすなかで周囲の人々が麻里を見る視線、そこに現れる、小森と同じように麻里を安全圏から神格化して眺めていた柿口依の視線。この、安全圏から傍観するというのがポイントで、触れ合うのは怖いから密な接触は避けて、ただ傍観するのです。ちなみに我々がフィクションに対して注ぐ視線も、いわばこの視線ですね。

小森は、麻里の体で生活するうちに、周囲の人々から注がれる視線の違和感に気づきます。みんな麻里の表面しかみていない。内面まで届く眼差しをくれる相手はいないことに気づくのです。依も例外ではありません。彼女がいなくなってしまった麻里を探す理由は「私の憧れの、こころの支えの、いつ見ても美しい麻里が変わってしまったから」です。最後まで読めば彼女の動機が身勝手なものだったことは明らかですね。前半はこの、微妙にズレた視線の交錯と、得体の知れない何かに見る或いは見られる恐怖いうモチーフを軸に、非常に丁寧な演出でサスペンス的な展開をしていきます。

しかし、ある時期から、この視線はむしろ内面へ内面へと注がれることになります。麻里はどこにいるのかではなく、麻里とは誰なのかという視線です。またこのころから、身体的な接触のモチーフが繰り返し描かれるようになります。その先には、麻里が誰なのかという“真実”の追求からは別のベクトルにある、肉体の接触が先に立った、生の特別なコミュニケーションが発生します。依が麻里のことを、「小森」と呼ぶことが増えてくるのは象徴的です。そのコミュニケーションが物語を引っ張って、後半は前半のサスペンス感とはまた少し違った方向へ転がっていくのです。果たして麻里はどこへ、そして何故消えてしまったのでしょうか。

 

 

最後の方のことは書きませんので読んでくださいね。ここから下は完全無欠のガチネタバレ感想としますのでご注意を。

 

 

 

 

 

 

 この作品の勝因は、ある種古典的でさえある二重人格者の物語を、昨今のサブカルチャーの流行である精神入れ替わりという題材にミスリードさせたことにあるだろう。このトリックにいつ勘付くかというのは人によると思うが、ぼくは7巻くらいでようやくもしかしたらそっちなのかと思い始めたくらいで、完全に作者の術中にハマった類の読者である。このミスリードを引き延ばすために、作者はありとあらゆる手を使っている。この工作は六巻あたり、麻里からの電話が実は変声期を使った小森のイタズラだったとわかるあたりまで続く。ネットで拾ったエロ小説を自分で音読して変声して女声にしてオナニーしてたという小森はそりゃもうひどいもんだが、そのダメさ加減こそがポイントなのだ。ダメダメだけどどこか憎めない、他人として頭ごなしに切り捨てられない愛らしさをもつ小森(麻里)と、どこかへ消えてしまったミステリアスなヒロイン麻里という2つの存在が1つに収斂していったとき、その吉崎麻里というキャラクターは多面的でとてつもなく魅力的な人物となる。もちろん押見先生の絵が異常に美しいというのは前提として。

そして最後に麻里は、自分を取り戻し未来へ歩いてゆく。不完全な存在として、不完全な時間の中に生き続けることを受け入れる。遊園地で楽しく遊ぶのを切り上げて観覧車に乗ることを決意したときに、麻里の時計はすでに再びどうしようもなく動き始めていたのだ。

このブログに何度も書いてますけど、こういう話、僕の1番好きなやつですからね。ていうかこれ実質つばさタイガーじゃないですか?てことは実質羽川翼だし、つまり実質僕ですよね…………(完)