酒は燗、肴は刺身、酌は髱

我が身の色をお隠しでないよ、着の身着のまま、ええじゃないかえ

「完璧な線」ってやつ【運慶展】

東博で運慶展やってますね。

良い良いと聞いて行ってきました。

康慶作品、運慶作品、運慶以後の運慶風作品、という分かりやすい構成でしたが、はっきり言ってめちゃめちゃ良かった。

 

まず、点数が多くない割に東博平成館を使ってるので、空間をとても広く使っている。

多くの作品が360度から見られる、隣の作品と隣接していないので人がばらけて見やすい。

これは東博ならではのすごいことです。

 

運慶作品を前から見て、他のものと圧倒的に何かが違う感じがしていたけれど、それがなんなのか、感性ボキャ貧の身としてはあんまりちゃんと掴みとれなかった。

シュッ、ストン、丸み、瞬間を切り出したような、、、そんな感じ。

しかし、背中に回ってびっくりです。

仏像の背中を有難がって拝む人はあんまりいないと思うので、仏像の背中ってそんなに大事じゃないと思うんですよね、基本的に、ものの成り立ちとして。

 

それなのに、です。

運慶のは背中がモノを言ってんですよ。

肩甲骨あたりの肉の盛り上がり、腰回りのくびれの線、そういうものがあまりに溌剌としていて、肉感的で、完璧な(いいですか、「完璧」なですよ)曲線を描いている。

あと、前で言えば出た腹の線も素晴らしかった。

完璧な、魅惑の、あまりに生き生きとした線に、本当に惚れ惚れとしました。

背中でモノ言う仏像、そりゃ前から見てもすごいよね。

圧倒的洗練はつまり、線の洗練だったってわけです。

 

それに気づいてから、もっぱら後ろ姿を見ていました。

後期になってくると、肉感的な線自体は少しなりを潜めて、もう少しどっしりとした、高僧とか、風格があって立派で含蓄のある作風になってきたように感じました。

でも、後ろ姿の袈裟のほんの少しの盛り上がりに、中期作品で感じたエッセンスは匂い立っていた気がする。

 

康慶も、運慶以後も、後ろ姿は運慶と全然違う。のっぺりして平板。

全然違うもんだなぁ、とびっくりした次第です。

日本の芸能にしろ美術にしろ、題材や技法をどうするこうするというよりは、個人の職人的な芸によっていると思う。

素晴らしい人は、使い古された題材で異次元のものを作ってしまうんだから。