酒は燗、肴は刺身、酌は髱

我が身の色をお隠しでないよ、着の身着のまま、ええじゃないかえ

なぜ体に悪いものはこんなにも美味しいのか

今回は人類の永遠のテーマについてです。

 

突然ですが昨日の私の夕食をご覧いただきましょう。

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蒙古タンメン中本 冷やし味噌ラーメン麺特大 + 定食

この真紅のつけ汁がたとえばトマトの赤であったのなら少しは身体に良さそうな雰囲気も出るものですが、残念ながら唐辛子の赤なのですね。「冷やし味噌ラーメン」というメニュー名の中にどこにも辛そうな要素が入っていないのが凄みを感じさせる。

もちろん、ある食べ物が身体にいい、悪いというのは二極的に断定できることではありませんが、じゃあ、唾液で薄まらずに喉の粘膜に直撃するとむせ返るので麺をすすることもできず、食べたあと唇がヒリヒリと痛むレベルの辛さのつけ麺が身体にいいとは、思えないですね。

僕はある時期から中本にハマり、一時は週一以上のペースで通っていたのです。最近は症状が落ち着いてきて、昨日の訪問も数ヶ月ぶりだったのですが、どうやら再発したらしく、すでに翌昼にはまた行きたくなっています。

 

 

なぜ僕は中本に通わずにいられないのか。まず明らかに辛いものには中毒性があり、それは突き詰めれば、人体にとっての異物を摂取した時の身体の反応を快感と感じるということではないかと思う。酒に酔うというのもそういう仕組みだし、ニコチンなども同じようなことなんじゃないのか?  お腹が空くと中本のことしか考えられなくなるときとか実際ある。ググっていたら、「唐辛子を食べるということは新しいマゾヒズムの形なのかもしれない」と書いてあるサイトもあった。

なぜ痛みを伴うほどの「激辛」を愛してしまうのか? - GIGAZINE

そしてもうひとつは、食事という行為自体をアトラクション的に楽しんでいるということ。これは個人差が大いにあるところかと思うが、僕のようなある種の人種は、味云々以前に食べること自体が好きというのがあって、だから中本は言えば難易度の高いゲームみたいなもので、それをクリアしたところに達成感みたいなものを得ているのではないか。これはラーメン二郎とかにも言えて、だから並ぶという行為もある種の達成すべき課題として捉えているため、待つことに抵抗がない。二郎も僕は必ずカラメして、舌がビリビリくるくらい塩っぱいのが好きなので、刺激物という意味でもそうですね。