酒は燗、肴は刺身、酌は髱

我が身の色をお隠しでないよ、着の身着のまま、ええじゃないかえ

大傑作『日常』~どこまでもギャグアニメ、その真価~

皆さま、「どこまでもギャグアニメ」、そう聞いて、バカなことだとお思いになっただろうか。

今回のテーマは、ギャグアニメというものの絶対的安心感、あるいは母性。

 

さて、『日常』というギャグアニメをご存知でしょうか。

f:id:tamakobkrunion:20170527025651j:image

私の知る限り、ギャグアニメとして作られた最高のギャグアニメ。

ギャグアニメを愛し、ギャグアニメに愛されたアニメ。

『日常』は、ギャグアニメの領域を間違いなく大きく広げた!圧倒的ジャスティス!

 

作品については、乱暴だがとにかく見て欲しい。

(違法性に目を瞑ればタダでも見得るらしいとだけ言っておきたい。)

 

とにかく最高。

笑いはもう大前提、友情あり、ロボあり、甘酸っぱい恋あり、譲れない性癖あり、不条理あり、ロボあり、萌えあり、猫あり、プロレス技回あり、キチガイあり…とにかく心を動かすあらゆる要素を責められまくる。

これで笑わない奴の血の色は何色か。

 

ロボのなのちゃんと幼女のハカセはマジで可愛くて萌え死ぬし、ゆっことみおちゃんのコンビはあらゆる面で最高だし、幸薄すぎ教頭の寂しすぎる現実と校長への妬みも最低で最高だし、謎の飛行戦艦内での謎の王国の姫君と謎の愉快な下っ端臣下達も謎でよいし、頭の縦中央一線にしか髪の生えない餅屋の息子とかも不憫すぎるし、正体不明の囲碁サッカー部もいい味出してるし…とにかく良いトコあげたらキリがない。

 

それはそうと、どこまでもギャグアニメだということの絶対的安心感について。

ギャグアニメは所詮ギャグアニメだからな〜?と思ってる方は、ちょっと視野が狭いというか経験が浅いというか、僭越ながら了見が狭いと言わせていただきます。

 そうじゃない、ギャグアニメは、敢えてバッドエンドを全て切り捨てた上で話を構成するという、ある意味での高等的縛りプレイの産物なのです。

 

全ての話はバッドエンドであってはならない。

その果敢なチャレンジは、圧倒的信頼と安心感の母なり!

 

世の中捨てたもんじゃない!かも知れない!(適当