酒は燗、肴は刺身、酌は髱

我が身の色をお隠しでないよ、着の身着のまま、ええじゃないかえ

羽川翼と私

僭越ながら申し上げれば、私とは羽川翼であり、羽川翼とは私である。

 

私こと羽川翼 (春休みに撮影)

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化物語』にはじまる物語シリーズの(初期の)メインテーマのひとつは、「我々の生きるこの世界は不完全で相対的なものであり、それ故に我々は不完全で相対的な存在として生き延びるしかない」ということだ。物語シリーズにはいつも、子供と青年と大人という三種類の人間が登場する。畢竟、子供とは世界の不完全さを知らない無垢な存在、大人とは世界の不完全さを十二分に理解しその中で生き延びるための相対的なルールを規定する存在、そして青年とは世界の不完全さに気付きながらもシステムに対して抗いながら自らの身の必然的な置き場を探す存在である。

これをストーリーの形式ということで言えば、子供が世界の不完全さに触れ、大人へ近づいていく過程で子供時代特有の全能性、存在の完全さを喪失する物語、と言うことができる。『化物語』は戦場ヶ原ひたぎが、『傷物語』は阿良々木暦とキスショットアセロラオリオンハートアンダーブレードが、そして『猫物語(白)』は羽川翼が、それぞれの「愚かさ」「弱さ」とでも言うべき不完全さを受け入れて生きることを選ぶ物語である。『かれんビー』の最後で、貝木が戦場ヶ原に言う「普通のつまらん女になった」というのはそういうことだ。

しかしここで注意しておきたいことは、彼らが「普通」になったのは、彼ら自身の普通さに起因する以前に、彼らの暮らす世界の不完全さに要求されたからであるということだ。(補足するなら現代日本の不完全さとは、映画『傷物語』で示されたように、高度経済成長と「東京オリンピック」以後、つまり祝祭が過ぎ去った後であることに起因し、これはシリーズ第1作『化物語』が作中の時系列としては『傷物語』『猫物語(黒)』以後の時間から始まっていることとも深く関わっている)。

羽川翼の例を挙げれば、「知ってることは何でも知っている」彼女は限りなく完全に近い存在であった。世界の完全さを信じ、故に限りなく完全に近い自立したシステムとして作動してきた羽川翼という存在がエラーを吐いたのは、そのシステムに問題があったからではなく、彼女の家庭環境が完全ではなかったからである。

 

さて、前置きはこの辺にして、私が羽川翼である件について。

猫物語』のどこかの阿良々木か戦場ヶ原の台詞に「羽川翼は世界の不完全さを気にも留めていない」というようなものがあったと思うが、私はこれは的を得た発言だと思う。先ほど「世界の完全さを信じ」と述べたが、羽川翼が完全で絶対的な存在であることを選んだのは、世界の不完全さを知らなかったからではない。世界の不完全さに興味がなかったからだ。だから彼女は世界と関わらなくて済むように絶対的な存在であろうとした(そして類い稀なスペックの高さゆえにある時点まではそれが出来てしまっていた)。

自己分析するに、私にもそういう面があると思うのだ。私も世界、いや現実的には社会と言いなおすべきだろう、社会に興味がない。だから、どうしみんな何かが好きでそれと同じくらい何かが嫌いなのか理解できないときがあるし、羽川翼が食べ物の味に興味がないように、何でもいいとしか思えないときが多い。社会から距離を置いていたいために、誰にも頼りたくないし、誰かに対する責任も負いたくないと思っている気がする。現に、人生で一度も誰かに悩みを相談したことがない。羽川翼のように。

しかしそんなことを言っても社会は不完全だし、それ以前に僕は羽川のような翼を持つ存在ではない(たとえそれがイカロスの翼だとしても)。だとすればどうやって生き延びればいいのか。

ここで私こと羽川翼に話を戻すと、彼女のお決まりの台詞「何でもは知らないよ 知ってることだけ」とは、「知ってることは何でも知っている」と「知らないことは何にも知らない」の重なった状態であり、この記号の二重解釈性、つまり相対性が、世界と人間の不完全さを示す『物語シリーズ』の重要モチーフではないかと思う。たとえば「怪異は怪異の存在を信じる人間の認識によって存在する」という設定は、何かが過ぎ去った後の不完全な世界で生き延びるためには、世界を変えるのではなく認識を改めるしかないということではないか。現に、戦場ヶ原ひたぎをはじめとするキャラクターたちは「助けられた」のではなく、そうして「一人で勝手に助かった」のだ。

もっともここでは、「本当に生き延びるべきなのか」という最大の問題を放置しているので、まずはそこなんですがね(To be, or not to be)。

ともかく『猫物語(白)』以降の羽川翼がどう生きたのかを僕はまだ知らないので、まずはそこを注視することにしよう。それ以前の羽川翼はどちらかといえば恐怖の対象だっただけに『猫物語(白)』はインパクトがあった。『傷物語 鉄血篇』が公開されて以来1年半近く羽川翼のことを考えているし、これからも考えていきたい。フィクションの登場人物に共感することがかなり稀な僕にとって、親近感を感じるキャラクターとはこういう人々なのだ(ナディアちゃんもかなりいい線いってるのでそれはまた今度)。

 

私こと羽川翼 (夏休み明けに撮影)

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