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酒は燗、肴は刺身、酌は髱

我が身の色をお隠しでないよ、着の身着のまま、ええじゃないかえ

アニメーションにおける水 『未来少年コナン』からの数珠繋ぎ

未来少年コナン』をみた。いろいろあるけど、コナンについて僕の思うことはは性癖とは別の話なので別のブログに書いた。もしものすごく暇があれば読んでみてほしい。

http://nothinner.blog.fc2.com/blog-entry-125.html?sp

(蓮實重彦風のタイトルがだんだん恥ずかしくなってきた)

参考 : http://www.athenee.net/culturalcenter/special/special/hasumi_f.html

 

で、この場所でするべき性癖の話といえば、アニメーションに登場する水のことである。僕は、特に根拠は無いものの、アニメーションは水を描かなければならないくらいのことを勝手に思っている。んで、本当のことを言えばここで宮崎アニメにおける水のモチーフを紐解いてみたいと思ったのだけれど、それは気合入れて全作観なおすくらいが必要だと気付いたので、面倒だからやめる。かわりに、未来少年コナンから数珠繋ぎ的に様々なアニメにおける水の描かれかたを横断してみたい。

 

さて、コナンに登場する水といえば、第一にロケット小屋の地下に湧き出た泉であり、その他もちろん、豊かで美しくまた時には津波としてその怒りを露わにする海のことである。そしてこの水のモチーフは、宮崎駿がキャリアを通じて描き続けたものでもあると思う。

海の描写はポニョで頂点に達する。この海は、豊かで美しくかつ、人類の罪を決して許さない厳しさを内包したものであった。そして一方の、透明で美しく自然の祝福かのような宮崎駿の水としては『風立ちぬ』の2人の再会の泉を思い出すのだ。

 

このような、水の二面性を描いたアニメとしては『聲の形』をあげてみたい。それについては少し文章を書いたことがあるので、前出のブログの記事を再び。ド暇だったら読んでね。

http://nothinner.blog.fc2.com/blog-entry-121.html?sp

聲の形における水とは、その冷たさにおいて、将也をはじめとするキャラクターの抱えた罪に対して与えられる罰であり、またその暖かさにによって、作品に登場する少年少女の愚かさまでも含めて1人の人間を丸ごと包み込み肯定するものであった。

思えば山田尚子作品では『聲の形』にも『たまこラブストーリー』(たまこマーケット)にも『響け!ユーフォニアム』にも川が印象的に登場している。そのうち2作品では舞台が京都である(聲の形は岐阜)という点まで含めて、京都出身で京都造形芸術大→京都アニメーションという生粋の京都人である山田尚子の作家性とさえ言えるかと思う。特に『たまこラブストーリー』の鴨川はなかなかに忘れがたい名場面だった。あと、山田尚子は川そのものと同じくらい川にかかる橋を重視しているが、その話はまた。

 

近年のアニメで川が印象に残る作品といえば、『昭和元禄落語心中』をおいて他にない。ただし、落語心中の川は、冷たさ⇔暖かさの二面性の水や、川と川辺と橋という空間を作り出すものというよりも、緩やかに流れていき移ろいゆくものであった。つまり落語という芸能が師匠から弟子、そしてそのまた弟子へと継承されながら少しずつ変化していくことのメタファーとなっている。極端にいえば、作中で何度世代が変わっても、同じ場所に川が流れているということにこの作品の本質があるのではないか。

 

そのような記憶の蓄積としての水を扱った近年の作品としては、まず『マイマイ新子と千年の魔法』が思い出させる。あのアニメで登場する川は、千年の記憶を蓄積し同じ場所に流れ続けるものであった。しかしこの作品では水のモチーフをこれだけ一貫して扱うにも関わらず、雨が降らないのだ。僕にはこのことが重大な問題に思えてならない。少年少女の成長を描きながら、あまりにもタッチが楽観的すぎるという欠点を端的に象徴しているようではないか。

 

雨が印象に残るアニメとしては『レッドタートル ある島の物語』『おおかみこどもの雨と雪』という2本の大傑作が浮かぶ。この2本とも雨の音が素晴らしく、劇場で音に包まれる体験はとても豊かであった。

『おおかみこども』の水について言えば、狼男や雨くんが落ちた川や、台風で吹きつける暴風雨などのように厳然とした態度を保ちながら、しかし雨くんが川に落ちる前のシーンは一面の銀世界で駆け回る姉弟の歓びが満ち溢れている様が描かれていたり、台風の直撃に伴う暴風雨こそが草平と雪にとっての魔法のような時間をもたらしたように(僕の人生ベストカーテン!)、人間たちの手の遥か及ばないところからの超越的な祝福を気まぐれに施しもするのだ。

そのほか、学校に来なくなった雪ちゃんのところへ連絡帳を持ってくる草平に花が出すソーダが妙になまなましく印象に残っている。思えばこの妙に美味そうな冷たい飲み物は『ぼくらのウォーゲーム』から一貫して細田が描いてる水ではないか。この水はつまり、生物が生きて行くのに絶対不可欠なもの、あるいは命そのもののような水である。

 

たとえばアニメ『3月のライオン』では、対局シーンで何本も準備されているペットボトル飲料がそのような水として出てくる。汗をダラダラと垂らしながら文字通り命を削って対局しているプロたちは、流れ出た分の水を飲んで盤上で生き残る道を懸命に探している。やがてその水が尽きるときが決着のときとなるのは必然でしかない。

一方で『3月のライオン』には川も出てくるだろう。あの川は、主人公の“零”という名前のように、徹底して透明な水だった。どこまでも沈んでいけば静かで安らかな世界で緩やかに死ぬことができる。しかし生きる者=闘う者はそれでもがむしゃらに泳ぎ続けることをやめられない。彼の心臓の鼓動がそうさせるのだ。この水の二面性も、物語的テーマを実によく表していた。