酒は燗、肴は刺身、酌は髱

我が身の色をお隠しでないよ、着の身着のまま、ええじゃないかえ

悲しき滑稽ー純朴と愚鈍ー:モウロ将軍

ぽんぬふ氏に大分遅れを取ってしまいました。

初期ジブリ原理主義者の考察シリーズ、メインっぽいところから行きたいと思ったけどもう良いや。

ということで子供の頃から大好き、ラピュタのモウロ将軍。

 

皆さまモウロ将軍をご存知だろうか。

知らない方も多いに違いない。それも無理からぬこと。

だって作中に名前出てこないんだもの。

 

まずはスタートラインに立つために、皆で閣下のご尊顔を拝見しましょう。

 

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これで皆さまにもお分りいただけたでしょうか。

ムスカ大佐とやりあおうとして一方的にバカにされたり、飛行戦艦ゴリアテの指揮を取ったり、画面ではあんまり出てこないし特に良いところもない、おまけに最後は哀れにもラピュタから真っ逆さま、あの「将軍」「閣下」であります。

(ちなみに、モウロ将軍がトップを張っていると思しきあの要塞は「ティディスの要塞」と言います。)

 

このモウロ将軍、ラピュタにあって、脇役なのにどうも頭に残る。

名脇役でもないのに、なんだか変な存在感があってクセになる。

非常に余談ですが私は小さい頃はひたすらモウロ将軍の声マネをして遊んでいました。

別に声真似自体が好きというわけでもなく、誰かに見せようというわけでもなく、ただモウロ将軍だけは真似せずにはいられなかったんだ。

 

つまり何が言いたいかというと、彼のキャラクターには不思議と魅せられるものがある、ということ。

それは何か。

それっぽくまとめてみれば、『純朴』と『愚鈍』じゃないかと思う。

それが共感を呼ぶ。

 

初期ジブリ原理主義者的考察を広げる前にまず、基本的なモウロ将軍の立ち位置をおさらいしましょう。

モウロ将軍は巨大なティディスの要塞でもナンバーワン、ラピュタ探索の指揮官を務めるトップエリート軍人、物の本によれば階級は中将らしい。

典型的な軍人気質で、短気で強権的、 武力によって多くのことを解決しようとする体育会系タイプ。ムスカ大佐とは真逆の性格と言えるでしょう。

ラピュタ探索については指揮官として全権を掌握しているものの、政府の密命を受けている特務のムスカ大佐が目の上のたんこぶで気に入らない。

あんまりラピュタに関する細かい事情は知らなくて、ムスカが出来事の中心に近いところにいるのに対し、外縁にいて対処も後手後手になってしまっています。

指揮している組織が大きいせいもあり、小回りのきくムスカ大佐にいいように使われているだけ。

ラピュタ到着後は本性を現したムスカと対決するも、何の爪痕も残せず無残にも上空より海に落とされてしまいます。

極論を言えば、彼はムスカ大佐をラピュタに運んだだけです。

 

簡単におさらいしたところで、糸ぐちをば。

 

モウロ将軍は無能なのだろうか。

結論から言えば、私はそうでもないと思う。

ラピュタ探索という夢物語みたいな任務を背負って、まあ腐らず熱心に頑張っている風だし(暗号が解読されている等、ご愛敬的落ち度はあるが)、軍人としてはそれなりに有能なんだろうなと思います。

彼に無能さがあるとすれば、ちょっと軍だったり任務だったりムスカだったり人生だったりに疑いがなさすぎるというか、まあある意味で(軍人的に)純朴だなと思う点です。

この人絶対お坊ちゃんだと思うんですよね、ちょっと能天気だし自分の生きてきた世界の全てを信頼している。その分楽しそうだけど。

ただ、ラピュタの財宝を前に変な声が出ちゃうところとか、お坊ちゃんと言ってもそこまで超裕福とか超血統というわけでもなく、精神的お坊ちゃんというか、それなりに努力して上まで来たんだろうななどと想像を逞しくしている次第です。

 

少なくともモウロ将軍は彼の世界認識の範囲内でよくやっていると思う。

ムスカとの主導権争いにおいて、ことラピュタに関しては最初から完全なる負け戦だったというだけの話。 

彼の落ち度をあえて言えば、ムスカをさえ軍人として最低限信用している、つまり、実はムスカが黒い野望を持ちかつ爪を隠している超キレ者の鷹で、ラピュタ王族の正当後継者でラピュタに関して非常に特権的な知識を得て軍を裏切って世界を征服する現実的なプランを持っている、なんてことは考えもしないってことだと思います。

でもそんなの、当たり前じゃないかな。

どう考えても杞憂の範疇のことです。ドンマイ。

 

そして、その純朴さと愚鈍さはもちろんセットなわけだけど、これが何とも人間臭いというか、我々の生活感覚に極めて近いところのものだと思う。

普段象徴とか全然考えないけどあえてそんなこと言ってみるとすると、最後にモウロ将軍は床が抜けてラピュタから落とされるシーンがあります。

 

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モウロ将軍はその前の瞬間までずっと床を信じて立っていたんだけど、その前提をぶち壊すように彼を中心に床が抜けて彼は落下します。

晴天の霹靂(の逆)というか、ここで彼は初めて、ムスカと自分が全く違う前提に立って戦っていたんだと実感するわけです。

そりゃ敵うわけないし、馬鹿にもされますよ。

でも、モウロ将軍は自分の現実の中で存分に腕を振るい、一生懸命生きていたと思うし、彼なりの前提を疑わないことは決して責められたことではない。

むしろ、そうして今の自分の世界認識を信じて生きる以外にどんな生き方があるのだろう。

今夜地殻変動が起きて7つの大陸が海に沈み、朝起きたらお家がのこされ島・・・なんてことはたいていの人は考えて生きていないような気がするし(居られたらごめんなさい)、私に至っては駅まで行く途中で暴走車両が突っ込んできて・・・なんてちょっと有りそうなことさえ考えてみない。

 

ただ、突然床が抜けただけのこと。

そんな不運な役柄ゆえ、滑稽に描かれているのが悲しい。

でもやっぱり面白い(笑)

 

 

モウロ将軍の落下は、一面では前提を疑えという教訓なんだけど、私はその上で床は抜けない前提を選択して生きてゆくのは美しいんじゃないかと思う。

モウロ将軍の純朴さは一つの美徳というか、人間的魅力なんじゃないだろうか。

私は個人的に、モウロ将軍には綺麗な奥さんと可愛い娘がいて、家に帰ると温かい家庭があると確信しているし、ムスカと違って表裏のない閣下は上司としても結構信頼できるんじゃなかろうかと思う。

一生懸命でそこそこ仕事もできて愛嬌もある、人としては陰険でひねくれた陰謀家のムスカなんかよりよっぽど上である。

私にとってそういう愚鈍な美徳は信条でもあるし、モウロ将軍はどうしても憎めない。やっぱり大好き。

 

最後に閣下の一番好きな台詞を。

「ドぉーラごときに出し抜かれずに済んだのダぁ!」

ポイントは何と言っても最後の「ぁ」ですね。 

 

純朴さ、ばんざい!

そこから頑張ればええ。

 

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モウロ将軍だけじゃなくて、私はどっちかというとジブリの脇役が好きな気がします。

もちろんメインキャラの面々も大好きなんだけど、その他の脇役のキャラクターがお話の進行上必要な役割をはるかに超えて、魅力的な人格として描かれていて、それが少ない登場回数・セリフの中ですごくリアルに浮き出ている、そんなところに最大の魅力を感じたりします。

 

(主人公でなくて良い分、彼らはより自由に人間らしさを獲得することができているとも言えそう。ぽんぬふ氏の別ブログのコナンの記事にもちらっとあったけど、主人公はどうしてもある種のイデアを背負う面がある。ぜひぽんぬふ氏の記事も読んでください。私と違ってとっても理性的・知性的です。)

未来少年コナン 宮崎駿と「飛ぶこと」 - いい言葉ちょうだい

 

そもそも、私が初期ジブリ原理主義者を標榜しているのは『千と千尋の神隠し』以降になると、サブキャラの魅力なり世界観の広がりなりが薄らいでくると感じてしまったということが大きい。

なんというか、あふれる情熱とか志の高さ、執念みたいなものが段々と希薄になってしまったなーと感じる。

それはなくても作品は成り立つし、良いものもできるかもしれないけど。

そういう意味では脇役の魅力を変態的に伝えて行くのは私の使命なのかもしれない。

 

異論争論大歓迎、でも私は自分の床を信じます。