酒は燗、肴は刺身、酌は髱

我が身の色をお隠しでないよ、着の身着のまま、ええじゃないかえ

月曜日の友達

世界の歴史上最大の芸術家は誰か。

シェイクスピアドストエフスキープルーストダヴィンチ?ピカソ?バッハ?あるいは、運慶?世阿弥小津安二郎

様々な名前の挙がるところかとは思うが、実はこの問いには明確な解答がある。

そう、阿部共実ですね。

 

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世界最高の芸術家であることが確定している阿部共実先生の新作、『月曜日の友達』はスピリッツで隔週連載しており、8月30日に単行本第1巻が発売されました。世界最高の芸術家の新作なので、言うまでもなく世界最高の漫画であることも確定していますね。単行本の発売日が決まった瞬間に今年最高の漫画であることも決定しました。

なんと1話が無料公開しています。神の福音と言わざるを得ない。全員読んでください。

やわらかスピリッツ - 月曜日の友達

 

読みましたか?この異常な精度の書き込み、それも、近年の漫画によく見られる写真を素材にした写実的な風景の書き込みとは違う、整然とした描写が3次元の空間を、平面に見事に落とし込んでいる。すなわちそれが構図というものであって、その意味で全てのコマが完璧であると言わざるを得ない。なんとなく『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』の美術みたいとも思う。今までの阿部共実作品では要所で用いていたみっちりとした書き込みが、平常のなんでもないコマに平気で使われてしまって無敵になっている。

白黒というメディア特性を活かしきった表現は漫画そのもの。ベタを多用し白と黒のコントラストをはっきりつけた夜の学校などカッコ良すぎるし、その中で中間の灰色が信じられないくらい美しく見える。

時折実験的な演出もしており、例えば1話で言うと水谷が蹴りを入れる見開きは「だ」の吹き出しで蹴りの鋭さを表現するなど。この見開きは飛んでいく紙パックの放物線をコマを横断した動線で感じられるところもすごい。さっきも言ったように全てのコマを完璧な構図で書く作家なので、たとえ動いているシーンであっても、一コマ一コマに動きは無く静止しているのだが、それでもページ単位のデザインで動きを表現してくる。

中学生の爆発する内面を描写するモノローグも詩のような美しい文章である。この漫画の特徴として吹き出しの全ての文末に句点が付いているというのがある。これが何故かはわからないが、もしかしたら言葉が絵の先に立っている作品なのかもしれないなどとも思う。

 

内容としては『空が灰色だから』から一貫して“変わった人”を描き続けている作家で、それがギャグ漫画に振れるかシリアスな方に振れるかというので作風が2通りある。ギャグ漫画家としても天才なのでそちら側の新作も是非読みたい。

世界最大の芸術家かはともかく(僕は本気でそのくらい好きだけど)、現役最高の漫画家の1人くらいは確実にあるので絶対に読んでほしい。あり得ないとは思うが万が一この作品が全然売れてないとかなったら本当に許さないからね。

『ぼくは麻里のなか』読破した

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読破した。

2巻だけ読んだタイミングで前に一回記事を書いているのだけれど、ようやく。

で、すーばらしかったのですね。めちゃくちゃ泣いてしまった。傑作云々という以前に、私的に大好きな漫画になりました。押見修造先生の筆致で描かれる麻里が美しくてかわいそうで愛おしくて、前の記事で『ツインピークス』のタイトルを出したけれども、読破した今、ぼくの心のなかのローラ・パーマーという呪われた名前の隣に、吉崎麻里というひとりの女の子の名前がしっかりと刻まれたのでした。(本家ツインピークスは新シリーズが今、たいっっっっへんなことになってますがね!!その話はまた)

 

 

 

 

以下作品の紹介をしますが、内容にも触れているので気にする方はここまでにしてくださいね。一応未読の方でも読んでいただけるよう本質には触れていないつもりですが責任は取りません。ただ、この作品はネタバレしたからつまらなくなるという類の漫画でもないとは思います。

 

 

 

 

前半は見る見られるの視線劇なのですね。麻里を安全圏から観ていた小森は麻里に見返された瞬間に麻里のなかに入ってしまう。麻里のなかの小森が本物の麻里を探す視線、麻里の体で暮らすなかで周囲の人々が麻里を見る視線、そこに現れる、小森と同じように麻里を安全圏から神格化して眺めていた柿口依の視線。この、安全圏から傍観するというのがポイントで、触れ合うのは怖いから密な接触は避けて、ただ傍観するのです。ちなみに我々がフィクションに対して注ぐ視線も、いわばこの視線ですね。

小森は、麻里の体で生活するうちに、周囲の人々から注がれる視線の違和感に気づきます。みんな麻里の表面しかみていない。内面まで届く眼差しをくれる相手はいないことに気づくのです。依も例外ではありません。彼女がいなくなってしまった麻里を探す理由は「私の憧れの、こころの支えの、いつ見ても美しい麻里が変わってしまったから」です。最後まで読めば彼女の動機が身勝手なものだったことは明らかですね。前半はこの、微妙にズレた視線の交錯と、得体の知れない何かに見る或いは見られる恐怖いうモチーフを軸に、非常に丁寧な演出でサスペンス的な展開をしていきます。

しかし、ある時期から、この視線はむしろ内面へ内面へと注がれることになります。麻里はどこにいるのかではなく、麻里とは誰なのかという視線です。またこのころから、身体的な接触のモチーフが繰り返し描かれるようになります。その先には、麻里が誰なのかという“真実”の追求からは別のベクトルにある、肉体の接触が先に立った、生の特別なコミュニケーションが発生します。依が麻里のことを、「小森」と呼ぶことが増えてくるのは象徴的です。そのコミュニケーションが物語を引っ張って、後半は前半のサスペンス感とはまた少し違った方向へ転がっていくのです。果たして麻里はどこへ、そして何故消えてしまったのでしょうか。

 

 

最後の方のことは書きませんので読んでくださいね。ここから下は完全無欠のガチネタバレ感想としますのでご注意を。

 

 

 

 

 

 

 この作品の勝因は、ある種古典的でさえある二重人格者の物語を、昨今のサブカルチャーの流行である精神入れ替わりという題材にミスリードさせたことにあるだろう。このトリックにいつ勘付くかというのは人によると思うが、ぼくは7巻くらいでようやくもしかしたらそっちなのかと思い始めたくらいで、完全に作者の術中にハマった類の読者である。このミスリードを引き延ばすために、作者はありとあらゆる手を使っている。この工作は六巻あたり、麻里からの電話が実は変声期を使った小森のイタズラだったとわかるあたりまで続く。ネットで拾ったエロ小説を自分で音読して変声して女声にしてオナニーしてたという小森はそりゃもうひどいもんだが、そのダメさ加減こそがポイントなのだ。ダメダメだけどどこか憎めない、他人として頭ごなしに切り捨てられない愛らしさをもつ小森(麻里)と、どこかへ消えてしまったミステリアスなヒロイン麻里という2つの存在が1つに収斂していったとき、その吉崎麻里というキャラクターは多面的でとてつもなく魅力的な人物となる。もちろん押見先生の絵が異常に美しいというのは前提として。

そして最後に麻里は、自分を取り戻し未来へ歩いてゆく。不完全な存在として、不完全な時間の中に生き続けることを受け入れる。遊園地で楽しく遊ぶのを切り上げて観覧車に乗ることを決意したときに、麻里の時計はすでに再びどうしようもなく動き始めていたのだ。

このブログに何度も書いてますけど、こういう話、僕の1番好きなやつですからね。ていうかこれ実質つばさタイガーじゃないですか?てことは実質羽川翼だし、つまり実質僕ですよね…………(完)

FUJI ROCK FESTIVAL 2017

フジロックに行った。はじめて行った。

行ったのは土曜日。ラインナップがあまりにも良くて。金曜と日曜のラインナップにはそこまで魅力を感じないのに土曜はやべえなと思ったので、おそらく僕みたいな音楽の趣向の人が一定数いてピンポイントでターゲッティングされていると思う。そこまでされたら行くしかねえよな。帰ってきたので感想や反省など書いていく。

 

交通手段は新幹線+シャトルバス、土曜の朝行って日曜始発で帰ってくる(そしてその足でバイトへ)という強行スケジュール。ただ、車があれば車の方がいいとは思った。越後湯沢駅からのシャトルバスが普通に40分くらいかかるし、行きはラッシュなのか1時間くらいかかったし、そしてバスに乗るにもとにかく2,30分並ぶことになるので。当たり前のこと言うけど、フジロックは異常に人が密集しているので、何をするにも並ばなければならないということがわかった。それをいかに回避するかがポイントになる。

あと、電車を選んだ理由の一つは、酒を飲みたいからなんだけど、結果的には飲酒しているヒマなど絶無で一滴も飲まなかった。まあ楽しみ方にもよると思うけど。僕は貧乏性?なので、出来るだけ多くのライブを観たいというタイプ。適当にライブ観たり休憩したり酒飲んだりで楽しくやろうみたいな気持ちには全然ならない。そして、大問題なのはトイレで、トイレに行くだけで2,30分並ぶことになる。トイレに行ったために目当てのライブを見逃したなんてことになっては目も当てられない。そのため、トイレに行く回数を最小限に抑えつつ、トイレのタイミングをコントロールするために、いつどのくらいの量の水分を摂るかということまで意識して動いていた。なので飲酒などもってのほかということになってしまった。酒を買うにも並ぶしね。

 

そんなこんなで会場に着いたのは11時過ぎ。最初に見たのは

 

・the fin.

 素晴らしかった。フジの予習するまでは全く知らなかったバンドだが完全にファンになった。シューゲイザーぽい音なんだけど、構成も編成もかなりソリッドで、その中で拍節間の変化が面白く聴こえてくる。

 

その後ホワイトに移動して

 

・PUNPEE

とにかく、演者がフジロックのステージを全力で楽しんでいる感じが伝わってきて、観ていてこちらも楽しくなった。お嫁においでよスタートからのベック、レッチリ、オアシスの90年代オルタナの音源勝手に使ってロックセット(怒られようって言ってた)、PSG集結からのフリースタイルなどなど。あとまあトラックメイカーとしてのセンスが尋常じゃないことは再確認した。

 

その後苗場食堂で腹に油そばとカレーを腹に入れてから、グリーンの目当てのステージまでレッドで休憩。

 

・never young beach

休憩中にレッドで頭20分とリハーサルだけ観た。なんとなく名前は聞いたことあるけど、予定になかったので完全にノーマークだったが、いいバンドだと思った。世界基準のインディーロックのトラックに、ちょっと山下達郎大瀧詠一?みたいなねっとりとした日本風のボーカルが乗ってるバランス感がすごくいい。ちゃんと聴きます。途中で抜けてごめんなさい。

 

・Avalanches

本命のひとつだったAvalanches。開始の30分前くらいにグリーンに行ったら、前から4,5列目くらいに。雨のせいもあると思うけどかなり前に行けた。

Avalanchesは、神なので。『Since I Left You』は地上で一番好きなレコードのひとつだし。初めて聴いた瞬間のことも明確におぼえているけれど、でもその時にはもうAvalanchesは歴史の1ページ的な存在で、それからもそうだった。それが去年15,6年ぶり?にアルバムが出て、そして本当に日本に来たという。去年のフジロックのドタキャンもあったので、待っている間も何か実感が湧かない感じがあった。オーディエンスの雰囲気もそんな感じだった気がする。

それが本当に始まって『Because I'm Me』のイントロが流れてきて、生の歌が入って……というところでもう、よくわからない涙がボロボロと。なんか、Avalanchesが本当に生でライブやってるという感慨がすごかった。

登場時のSEがGuns N' Rosesの『Welcome to the Jungle』。苗場の山にかけたギャグだったと思う。あと待ってる間に前にいたおっちゃんがせんべいくれた。ありがとうおっちゃん。

 

・Death Grips

Avalanches後すぐホワイトへ。ギリギリの時間で着いたらちょうどはじまった。

雨のホワイトで少し離れた位置から観た彼らは神々しくさえあり、なんというか、この世に神がいるとすればこれのことかなと思うくらい、ありえない強さ。これより強い音楽がこの世に存在するとは思えない。上裸で刺青ビッシリの黒人男性が叫ぶようにラップし、後ろではDJの兄ちゃんがありえんくらい良い姿勢で内臓が震えるような爆重低音を響かせている。その隣ではドラマーが汗だくで力の限り乱打している。やばい。

 

小沢健二 1

そのままホワイトに残って小沢待機。トイレに行った10分くらいでもうかなり埋まってしまい、30メートルくらいのところで。開演を待つまで隣に立ってたおばちゃんと談笑。開演直前に、前列にいるらしいそのおばちゃんの旦那と息子から「DJブースがある」という情報がもたらされる。前日にはスチャダラパーフジロックに出演しており、となれば当然ファンの話題はもっぱら、『今夜はブギーバック』を演るのかどうか。DJブースがあるということはブギーバック演るのかなあなんて思ってたら、開演一発目でやった。からのラブリー、からの僕らが旅に出る理由。

この後の深夜のステージでもそうだったけど、今回の小沢は、ファンから期待されている曲はチャッチャと済ませてしまい、その後でゆっくり自分のやりたいやつをやってるような気がする。あと、今回改めて強く感じたのは、彼は本質的に詩人であるということ。他のミュージシャンがステージ映像を写しているステージ上方のスクリーンに、歌詞を出しているのもそうだし、客にとにかく歌わせるのもそう。詩を分かち合うというのが彼の音楽の大きな目的なんだと思う。なのでこちらもそのつもりで、彼が歌ってほしそうなところは全力で歌い、歌詞を知らない新曲のときは詩を噛み締めるように聴いたつもり。未録音の新曲『飛行する君と僕のために』や9月にシングルが出る『フクロウの声が聞こえる』も聴けたし、素晴らしかった。

 

その後Aphex Twinへ移動の予定が、グリーンへの移動が大渋滞で4,50分かかるというハプニング。くるりが演ってたヘブンが入場規制で、小沢の客が全員グリーンへ抜けるしかなく、入れ替わりでホワイトに入ろうとするLCDの客と交差して大混雑。数万人単位の人が移動するには、あまりにも道が狭すぎる。フジロックは世界一クリーンなフェスを標榜しているらしいが、そんなことどうでもいいので木を切り倒しまくって道と橋を作ってほしい。

 

Aphex Twin

まあでもなんとか終演には間に合い、10〜15分程度眺めることができた。正直凄すぎて、Aphex観終わった直後は全てがどうでもよくなってしまった。アピチャッポンのフィーバールーム級とまでは言わないものの、あの場所あの時間に観たあのステージはもの凄いインパクトがあった。巨大なスクリーンを7,8枚使ってビデオと照明がバババババってなる……(説明諦め) あの中心で1人で全てをコントロールしているAphexおじさん、神々しかった。この世に神がいるなら……(2回目)  いつかまたフルで観たい。絶対に。あと、今回唯一買ったグッズはAphex TwinのTシャツです。

 

 その後、ピラミッドの小沢その2を目指す。ピラミッドは小さいステージなので、小沢1から抜けるのにも時間がものすごくかかってしまったし、Aphexで立ち止まっちゃったし、小沢ファンの執念は凄そうだし入場規制は確実にかかると思っていたのでダメもとで行ったが、意外と余裕で入れた。ステージから25メートルくらいのところで。

 

小沢健二 2

 深夜の小沢はアコースティックセット。小沢健二のアコースティック曲といえばファンが期待するのはまず『天使たちのシーン』が代表だと思うが、それも一曲目にさらっと演ってしまう。

彼曰く「去年くらいから美術館とかで演ってるセットリスト」とのことだが、4曲ごとくらいに計3回のモノローグが入る特殊な構成。モノローグの内容は、夏休みについて、労働について、世界の不思議さについてなどなどだが、ここで詳しく述べることはしない(よく憶えていないので)。しかし、その3回のモノローグの後には3回とも新しい曲をやっていて(神秘的、飛行する君と僕のために、流動体について)、関連づけて詩を聴くと小沢の思考が少し理解できた感じはあった。特に『神秘的』の歌詞は発売以来ずっと聴いていてもよくわからなかったのが、なんとなく身体に染み込んでくる感じがあった。

深夜の小さいハコでのアコースティックセットということで、ものすごく親密なステージになっていた。あの時間と空間を確かに小沢健二と共有できた、なんなら対話ができたんじゃないか、そんな気さえするような。ステージ的に歌詞の表示はないけれど、『ドアをノックするのは誰だ?』や『流動体について』で彼が「歌える??」ってこちらに問いかけてきたときに、ちゃんとすぐに歌で返せたのは嬉しかった。

 

 

この後は行くあてもなくさまよった後、収容所レベルで激混みの温泉に入り、始発直後のバスで駅へ、始発の新幹線で東京に帰ってきた。泊まるところのことを全く考えておらず、夜なんて適当になんとかすれば明けるでしょ的な感じで行ったが、まあまあしんどかったので、ちゃんと寝るところは用意したほうがいい。

 

 

そんなところですかね。心残りといえばタイムテーブルの都合で断念したコーネリアスですが、仕方なかったかな。帰ってきてからずっと小沢を聴いているし、いろんなステージを思い出しては早くあの場所に戻りたいと思っているので、来年も行くと思う。今回は友人と2人だったが、勝手がわかったから次は1人でも行けるしね。

 

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